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考え方の見直し

Facebookを見てて人氣のセミナーってどんなのだろう?って考えた
大人ぶらなくて良い
少しくらい変な人でも良い
氣どらなくて良い
馬鹿でも良い

普段の生活では大人なんだから
恥ずかしい事はしたくないと自分をよくみせないといけないから疲れる

氣を抜くための場所を求める
そして氣の合う仲間を求める

何故セミナーに参加するのか??

自分と共に生きる人を求めるいるのではないか?と思うのだけど…違うのかな??

今日読んだ本に書いてあった
この世の常識で生きると結果うまくいかない
それよりは自分の感受性のみで人と関わるそこには何の策もなく…の方が集団はうまくいくんだろね。。それは確かにそうだなって思う。。

以下書籍より引用〜

人びとは当初の社会的つながりを割り当てられると、まずは他人に対して気前よく協力的にふるまうのが普通だった。ところが、ときには新たに割り当てられた「友人」が寄付してくれないこともあった(そういう人を「裏切り者」と呼ぶ)。参加者は裏切り者に食い物にされることを望まなかった。参加者は当初のつながりの変更を許されていなかったため、隣人に問題がある場合、利用されるだけの状況を避けるには、自分も裏切る(つまり、気前よくふるまうのをやめる)しかなかった。実験のこのケースでは、私たちがつくりだした社会は裏切り者に乗っ取られてしまうことがわかった。被験者が交流する相手をいっさいコントロールできない(したがって、私たちが割り当てた友人の集団に閉じ込められている)硬直した(リーダーのいない)社会では、人びとは協力をやめてしまうのである

だが、異なる被験者集団を使った別のケースでは、人びとが誰と交流するかをある程度コントロールできるようにした。参加者はそれぞれの勝負ごとに、協力するか裏切るかに加え、誰と絆を結ぶか、誰と縁を切るかを選ぶことができた。こうした社会では協力関係が持続し、人びとはお互いに親切にふるまう。また協力的な参加者は、譲歩せずにもっぱら奪うだけの隣人を避けるために寄り集まり、最終的には派閥を形成することもわかった。ようするに、社会的つながりを変えられる可能性があるだけでも、よりよいコミュニティを形づくれるようになるのだ。

何だか面白いと思った( ◠‿◠ )

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